1999年のミャンマー・チャイントン(前編)

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1999年12月にミャンマーのチャイントンを訪れた時の様子を紹介したいと思います。

全部を掲載するにはちょっと写真の量が多いため、2回に分け今回は前編という形にしました。画像については現像済みの写真を簡易的にスキャンしただけのものなので低画質です。その点はご了承下さい。

バンコクからはタイ国際航空でチェンラーイまで行き1泊。

タイ国際航空のエアバスA300型機
タイ国際航空のエアバスA300型機。

翌朝、チェンラーイからメーサイまでバスで移動。途中一度検問があり警官がバスに乗り込んでくるものの、自分はパスポートのチェックはされず。

メーサイ・バスターミナル

メーサイのバスターミナルから国境まではソンテウで。

メーサイの街並み
メーサイ、国境ゲート付近の街並み。

国境チェックポイント
タイ側のチェックポイント。

ここでパスポートを預けます。つまり、ここからミャンマーに入った旅行者はまたここへ戻ってこなければなりません。1999年12月時点では、外国人旅行者はタチレク、チャイントン、そして中国国境のモンラーまで行くことができました。

国境の橋
国境にかかる橋。向こう側はタチレク(タチレイ)。

当時はミャンマーではまだ強制両替の制度が残っていました。イミグレで自分はどこまで行くのかを申請し、これによって両替しなければならない金額が決まってきます。「チャイントンまで」と言うと、120米ドルをFEC(兌換チャット)に替えさせられました。

ミャンマー側イミグレーション
左側の建物がミャンマーの出入国管理所。

エントリー・パーミット(入国許可)自体は右側のMyanmar Travels &Toursで発行して貰います。

当時、タチレクからチャイントンに行くのには主に2つの方法がありました。一つは乗り合いタクシー。もう一つは飛行機。意外にも料金的には大差はなく、タクシー23ドル、飛行機が30ドル。

どうせなら両方経験してみようということで、行きはタクシー、帰りは飛行機を使いました。出発前、タチレクで数人に「チャイントンまで陸路で何時間かかるの?」と尋ねると、7時間だとか9時間だとか10時間以上だとか、人によって言うことが全然違います。

地図を見るとタチレク~チェントン間はわずか150km程度しかないのですが、道路が舗装されていないため天候や道路状況によって所要時間が大きく変わってきてしまうというのが理由のようでした。

未舗装の道路が続く
午前11時に出発。タチレクを出ればあとはずっと未舗装の道路が続く。

タクシーはほとんど全てが年代物のカローラバン。3時間ほど走ったのち、埃っぽいモンピャックの街で同乗者らと共に遅めの昼食。

当然のように酒(タイのメコンウイスキー)がでてきて、当然のように運転手まで飲みはじめているので「おいおい大丈夫かよ」と、かなり心配になったことを覚えています。まあ、一人素面でいても仕方がないので結局自分も飲みましたけど。

食事を終え再び出発。道は細く、途中、眼下に川を見下ろすような断崖上の道路も通過。その後、突然車が急停止。何事かと思い外へ出てみると、なんと崖崩れで道がすっかりなくなっています。

道路修復中
呆然と立ち尽くすドライバーたち。ユンボが出て復旧作業中。

この瞬間は、今夜は野宿の可能性もあるなと覚悟しました。

ようやく通行可能に

ただ、幸運にも2時間ほどで仮の道路ができ、事なきを得ました。雨が少しでも降ればすぐにまた崩れそうですが。

その後も、一応道こそあるもののずっと道路状況は悪く、常に徐行運転&一時停止を繰り返すという状態。また、新しい街に入るたびにチェックポイントがあり、運転手が乗客全員のIDを手に出かけていき、そこでも時間を取られます。

最後のチェックポイントを抜け、ようやくチャイントンの街の細々とした明かりが見えてきた時には夜の11時を過ぎていました。結局、タチレクから12時間もかかったことになります。

チャイントンの街並み
翌朝撮影したチャイントンの街並み。

チャイントンは周囲を山に囲まれた盆地に開けた街で、街の中心には美しい湖があります。

湖
ノントゥン湖。

かつてこの湖には水上ディスコ(のようなもの)が設置されていて、夜な夜な地元の若者たちが繰り出していたとのことでしたが、自分が訪れる少し前に取り壊されてしまったとのこと。

湖畔の遊歩道
湖畔には遊歩道が整備されている。

巨大な立像
丘の上には巨大な立像も。

プリンセスホテル
プリンセスホテル(Princess Hotel)というホテルに宿泊。

開業したばかりの新しいホテルでした。調べてみると15年以上たった今でも往時の姿のままがんばって営業を続けているようです。

フロント
フロント。

室内の様子
室内の様子。明るく快適。

部屋からの眺め
部屋からの眺め。

チャイントンの街並み

チャイントンの「チャイン」とは、チェンマイやチェンラーイの「チェン」と同じように城市を意味する言葉。その名の通り、街はずれには門や壁の名残を見ることができます。

お寺

また、住民の多くはタイ・クン、タイ・ヤイといったタイ系諸族のため、タイ語で意思の疎通を図ることが十分可能な点も便利でした。

少年僧

後日、トレッキングをした際に地元のガイドから聞いた話では、この辺りではタイ族が作った街としてチェンマイ、チェンラーイ、チェンセーン、チェントン(チャイントン)、チェンフン(中国・景洪)をひとまとめにしてハー・チェン(5チェン)と呼んでいるとのこと。

景洪の近くには勐臘(モンラー)とか勐侖(モンルン)なんていう街もありますが、これもタイ語のムアン(เมือง)が転化し、そこに漢字(勐)をあてたものでしょう。

チャイントンホテル
国営のチャイントンホテル。

写真だと結構立派そうに見えますが、実際にはかなりうらぶれていて、料金はそれほど高くなかったのですが泊まってみようという気持ちには全くなりませんでした。

朝市の様子
中央市場の様子。

朝市の様子

生鮮品、衣類、雑貨、電気製品、食堂、両替屋などが揃っていて、チャイントン一のおすすめスポット。ここにチャイントンの全てが集まっているといっても過言ではないほど。

朝市の様子

この時は、毎朝の市のほかに5日に一度は大市も開かれているとのことでした。

朝市と少数民族
少数民族も周辺の山々からやってきます。

彼女たちが取引をする場合、物々交換あるいは銀貨を使用するのが一般的。

英国領インドの1ルピー銀貨
英領インドの1ルピー銀貨。

何枚か譲ってもらったのですが、発行年を確認すると1892年とか1912年などとなっていました。今から100年以上も前の硬貨ですが、現在でも少数民族間で品物を売買する際には実際に使われているとのこと。

雑貨店
生鮮品を除くと、ほとんどがタイや中国からの輸入品。

音楽テープ
音楽テープもタイポップスが中心。

当時タイで流行していたニコルやLOSOなどが置いてありました。

前編はここまでです。後編ではトレッキングで訪れた少数民族の村や帰路の様子などを紹介したいと思います。

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