バンコクのシーロム通り周辺をぶらぶらと歩いてみました。
昼間はオフィス街として、夜はパッポンやタニヤに代表される歓楽街としても知られるこの地区ですが、歴史的な建造物も意外と数多く残っています。
シーロム地区と言ってもかなり広いので、今回はBTSチョンノンシー駅を中心としたエリアを散策(地図は下部に掲載)。
まずは、シーロム・ソイ3とソイ5の間にあるバンコク銀行本店前からスタート。
付近を通る人を威圧するかのように建つバンコク銀行本店。
1980年に建設されたこの建物、25階建てで当時としてはタイ最高層のビルだったようです。建物中央部にはタイの国章にもなっているガルーダ(タイ語名:クルッ)の大きな像が取り付けられています。
タイでは企業がこのようにガルーダを使用するためには王室の許可が必要で、現在のところバンコク銀行をはじめ、CPグループ、セントラルデパート、バンコクエアウェイズ、ブンロートブルワリー(シンハビールの製造会社)など、タイを代表する一部大手企業のみに許された特権です。
銀行のすぐ西側はシーロム・ソイ5。
シーロム通りからこの狭いソイに入ると、ララーイサップ市場(ตลาดละลายทรัพย์)が広がっています。タイ語でララーイは「溶ける」、サップは「財産」なので直訳すれば「散財市場」というような意味に。
写真を撮ったのは午後4時過ぎだったため既に閑散としていますが、昼時には周辺オフィスで働くOLたちが集まり、その名の通り大賑わい。食べ物や飲み物屋台のほかに、衣料関連を扱う屋台が多いのも特徴。
シーロム通りに戻り、西に向かいます。すぐにシーロム通りとナラティワート・ラーチャナカリン通り(以下ナラティワート通り)との交差点。
周りの高層ビルや車やバイクの喧騒に紛れ、この一画に風車を模したオブジェが建っているのに気付く人はそう多くないと思います。
ひっそりと置かれた風車のオブジェ。
昔、この地区には近くの運河から水を引くための風車があったため、タイ語で「風車」を意味するシーロム(สีลม)と名付けられたとのこと。
元々はラーマ4世の治世である1860年代に、チャルンクルン通りなどとほぼ同時期に造られた道路で、敷設された当初は単に大通り(タノン・クワーン)と呼ばれていたようです。
交差点を渡り、さらに西に進みます。
ナラティワート通りを越えるとインド料理レストランやジュエリーショップが目立つように。
インド料理レストラン。
シーロムはタイのジュエリーマーケットの中心地で、かつてはインドやミャンマーなどから宝石商が移り住み居を構えた場所です。そのため、現在でもこのエリアにはインド系オーナーによる宝石・貴金属店、レストラン、ホテル、テイラーなどが数多く存在し、名残を留めています。
ソイ18の手前に建っているのがナライホテル(Narai Hotel)。
1966年創業の老舗ホテル。
ナライ(ナーラーイ)というのはヒンドゥー神のナーラーヤナ(Narayana、タイ語ではプラ・ナーラーイ)のことで、ヴィシュヌの異名。出発地点のバンコク銀行で見たガルーダがこのナーラーイの乗り物ということになりますね。
そこから100メートルほど歩くと正面の木立に隠れるようにしてパリ外国宣教会(Missions Étrangères de Paris)が。
17世紀半ばに設立されたカトリックの団体で、東アジアや東南アジアでの布教を担当。中でもタイは重要拠点とされ、アユタヤ王朝時代の1662年には宣教師がフランスから来て活動を開始。当時は本部もアユタヤに置かれていたそうです。
パリ外国宣教会を過ぎると、シーロム・ソイ20の入口。
ソイに入ると、いきなりローカルな雰囲気の屋台や市場が登場。雑然としていて、表のシーロム通りとはずいぶん趣が異なっています。
このソイの中ほどに、市場に飲み込まれるような形で存在するのがミーラースッディーン・モスク(Mirasuddeen Mosque)。
ここはインドネシア・ジャワ島からの移住者のコミュニティがあった場所。入口に設置されている説明を読むと、このモスクもオリジナルはジャワ島出身者により建設されたものだったとのこと。
再びシーロム通りに戻ります。ソイ22/1を越えるとすぐ右手にあるのが、シーロムビレッジ(Silom Village)。
現在はレストランや土産物店などとして使用されていますが、敷地の奥にはチーク材をふんだんに使用したタイ伝統様式の家屋が建っています。公式サイトによると造られたのは1908年ということで、100年以上の歴史を持つ建物。
この辺りで道路を渡り、今度はシーロム通りを今来た方向、東側に戻っていきます。
まず目に飛び込んでくるのは、シーロムビレッジの斜め向かいに建つカラフルなヒンドゥー教のお寺。
チェンナイ周辺など南インドからの移住者たちの手によって1870年代に建設されたスリ・マハー・マリアマン寺院。タイでは現存する最古のヒンドゥー寺院とのこと。
ソイ11を越え、フラマシーロムホテルを通り過ぎると、右手は急に建物が無い区間が続くようになります。
実はここからソイ9にかけてはバンコク中心部有数のお墓が集中しているエリアで、そのほとんどが中国系移民とその子孫たちのもの。タイでは少数派の福建や客家といった華人の墓地も点在しています。
これはシーロム通り沿い、ソイ9とソイ11の間。
ソイ9に入ると、福建人の共同墓地、閩山亭が。
この辺りは超一等地だけに当然開発業者が狙っていて、既に売却され移転が決まっている墓地もあるとのこと。
やや歩き疲れ、お腹も空いてきたのでここで小休止。
屋台でクィティオを注文。35バーツ。この麺料理も中国系移民たちが持ち込んだもの。
目の前では超高層ビル、マハーナコーン(MahaNakhorn)を建設中。
中央部のらせん状に崩れたようなデザインが目を引く(この写真はシーロム通り沿いから撮影)。
バンコク最高層(高さ314メートル)のビルで、完成後はリッツカールトンが運営するレジデンスやマリオット系列の高級ブティックホテル、エディション(Edition)なども入居することになっています(関連記事)。
建築中の様子を眺めつつ30分ほど休憩し、再スタート。ソイ9をさらに南下し、サートーン・ソイ10へ。その角に何やら古めかしいホテルが。
ナイアガラホテル(Niagara Hotel)。
典型的なタイのモーテルの雰囲気を残すホテル。タイなのにナイアガラっていうのもいいですね。
バンコクにはフロリダホテルやマイアミホテルなどアメリカの地名を付けたホテルが幾つかありますが、多くが1960年代のベトナム戦争のころに建てられたもの。ここも、かつては米兵がR&R(Rest and Recreation)で来た時に泊まったのかもしれません。
ナイアガラホテルからさらに200メートルほど歩くとサートーン通りにぶつかります。
シーロム通りとほぼ平行に走るこの大通りにはオフィスビルが林立し、スコータイ、メトロポリタン、バンヤンツリーといった5つ星ホテルも点在。
19世紀末にこの通りを建設したのがルアン・サートーン・ラーチャユックという人物(ルアンというのは階級を表す言葉)。お気づきのように、サートーンという名称はこの人の名に由来。
サートーン氏が住んでいた邸宅が今でも残っています。
ルアン・サートーン・マンション。地元ではバーン・サートーンと呼ばれる瀟洒な建物。1889年築。
場所は高級ホテル、Wバンコク(W Bangkok)の敷地内。左の建物はWバンコクのメインビルディング。
この邸宅は、サートーン氏の死後、1927年からはホテルロイヤル(Hotel Royal)として、その後1948年~1999年までは旧ソ連大使館として使われていたとのこと。20世紀の激動の時代を見続けてきた建物とも言えますね。今では高級レストランやバーとして利用されています。
夕闇が迫ってきました。今回の散歩もそろそろ終わり、サートーン通りを左に折れれば再びナラティワート通りです。
夕方のナラティワート通りの渋滞。今回のゴール、BTSチョンノンシー駅から撮影。
地図で確認して頂くとわかりますが、今回歩いた場所は1km²にも満たないごく狭い範囲です。
しかし、その中にはカトリック教会あり、インド寺院あり、イスラム寺院あり、華人の墳墓あり、伝統的タイ建築の邸宅があり、また300メートルを超える最新超高層ビルや5つ星ホテルがあるかと思えば連れ込み宿があったりと、非常に多様性に富んだエリアです。まさにバンコクの縮図と言えるのではないでしょうか。
今回紹介しきれなかったものも数多く、ぜひ実際に歩いてみることをおすすめします。ソイの奥に一歩足を進めるごとに、あるいは道路の角を曲がるごとに、がらっと違う風景が広がるというのは実に楽しい経験ですよ。