タイの公共放送であるタイPBS(Thai PBS)は報道を中心とする放送局で、いわば「タイのNHK」といった存在。
良質なドキュメンタリー番組も多く、それらは日本からでも公式サイトやYoutubeで視聴可能。最近見た中で特に印象に残った作品を幾つか紹介しようと思います。
公式サイト(動画): Thai PBS รายการไทยพีบีเอส
Youtube: Thai PBS – YouTube
五脚基が残るタイ南部サトゥン県の小ペナン、スンガイ・ウペー
プーケットタウン中心部はペナンから移住してきた福建華人によってその基礎が造られたことはよく知られているが、ペナンとプーケットの間に位置するサトゥン県トゥンワー(ทุ่งหว้า, Thung Wa)にも、マレー語でスンガイ・ウペー(สุไหงอุเป, Sungai Upe)と呼ばれたペナンからの移民が開いた港町があった。
スンガイ・ウペーではプランテーションの胡椒栽培が行われ、マレーシアやシンガポールから多くの貿易船が寄港するなど一時はペナン・ノーイ(小ペナン)と言われるほど繁栄。その後、貿易港としての地位低下や胡椒から錫への貿易品の移行などを受け華人たちの多くはペナンに帰郷。
現在のトゥンワーはタイ南部の他の地域と同様にムスリムが暮らす静かな田舎町に戻ったものの、スンガイ・ウペーの名を冠する高品質な胡椒はこの地域の特産品として復活。また、街の中心部にはペナンスタイルの五脚基(ゴーカキ)を持つショップハウスが数軒残り、当時の面影をわずかに今に伝えている。
英語版
◇
チャオプラヤー川沿いのバラックで暮らす木炭配達人、マイとその一家の物語「ヤワラーの片隅で」
都市の貧困をテーマにした「コンチョンムアン」(都市の中の貧しき人々)というシリーズ。
バンコクのアイコンサイアムからもほど近いチャオプラヤー川沿いにバンヤンツリーグループの高級コンドミニアムが聳える。否が応でも目立つその超高層ビルのちょうど向かい側、川の上にせり出すように建てられた小さなバラックに気づく人はほとんどいないだろう。
この「家」に暮らすのは20年前に東北部スリン県から上京してきたマイとその家族。家賃は年間2,600バーツ(約1万円)。リバーサイドに建ち並ぶ5つ星ホテルの1泊分にも満たない。
マイの定職はヤワラーに数多ある飲食店や屋台に炭を運ぶ「木炭配達人」。1日150バーツ(約570円)の賃金で、1袋7キロの木炭を車に積み、降ろし、数袋を肩に載せ階段を上り下りして注文先まで届ける日々。仕事がない日はゴミを集め生活の糧にしている。そんな彼の生活に密着したドキュメンタリー。
◇
クイティアオ屋が軒を連ねるバンコクの「クイティアオロード」、バーンクンノン
バンコクのバーンクンノン通り(บางขุนนนท์)周辺には数十件のクイティアオ屋が軒を連ねる。タイで最も多くの麺料理屋が集まっているエリアとも言われ、通称「タノン・セン・クイティアオ」。
元々は近くのチャックプラ運河で小舟を操ってクイティアオやコーヒーを売っていた華人たちが時代の変化と共に陸で商売を始めたのがきっかけ。水運が主流だった時代、チャックプラ運河は交通の要衝で特にバンコクノーイ運河と交わるバーンクンノンでは多くの小舟が商いを行っていたという。
クイティオルア(ボートヌードル)時代から今でも営業を継続しているのは4軒だけだが、同業者が次々と集まってきて現在クイティアオロードと呼ばれるまでに発展。かつてチャオプラヤー川の本流だったチャックプラ運河の歴史と、バンコクで見られるのはここだけという運河の名前の元になった儀式「チャックプラ」の様子なども紹介。