プーケットオールドタウンの建築様式について

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プーケットについてのガイドブックやインターネット上の情報を見ると、プーケットタウンの旧市街には中国とポルトガルの影響を受けた中国・ポルトガル様式(シノ・ポルトギース・スタイル)と呼ばれる独自スタイルの建物が残っていると説明されています。

プーケットタウンのショップハウス

プーケットタウン・ディーブック通りに建ち並ぶショップハウス群。

プーケットの歴史について詳しいタイフアミュージアム(Thai Hua Museum)内の説明では、このシノポルトギーススタイルという名称は1986年に「ある建築家」が上記写真のようなショップハウスを見て命名したのだそうです。

1986年にシノポルトギーススタイルと命名

タイフアミュージアム内の解説。

それ以上の詳しい説明はなかったため、具体的にどこのなんという建築家で、さらにどの要素を見てこう名付けたのかは不明なのですが、個人的には「この名称はちょっと適切ではないのでは?」という疑問を以前から持っています。

プーケット島がヨーロッパでJung Ceylonと呼ばれていた16世紀以降、産出される豊富な錫を目当てにポルトガル人がプーケットにやってきたことは事実ですし、当時は彼らが住む住居にポルトガル様式の建物もあったでしょう。

しかし、現存するプーケットタウンの建築物は、通りに並ぶショップハウスであれ一軒家の邸宅であれ全て19世紀以降に建てられたものばかりで、これらにポルトガル的な要素が残っているかというと、残念ながら否定せざるをえません。

実は、現在いわゆるシノポルトギーススタイルと一般に呼称されている建築物のほとんどは、19世紀末から20世紀初頭にかけてマレーシアのペナン島で流行していた様式をそのまま取り入れたもので、プーケットオリジナルのスタイルでもなければ、無論ポルトガルの影響を直接受けたものでもありません。

ペナンやマラッカあるいはシンガポールなど、かつて海峡植民地(マレー半島におけるイギリス植民地)だった町の旧市街に足を運んだことのある方であればお気づきのように、これらの通りではプーケットタウンとよく似た建物をあちこちで見ることができます。

ペナン島ジョージタウンのショップハウス

ペナン島ジョージタウンのショップハウス。

タンジョンパガーロードのショップハウス

シンガポール・タンジョンパガーロード沿いのショップハウス。

ペナンのショップハウスの基本スタイルは、中国南部の伝統的な建物にイギリス植民地時代の様式が融合したものであることは、以前当サイト内でも紹介した通りです。

ペナン・ジョージタウンのショップハウスに見る建築様式の変遷

以下のような一軒家についても、クラシカルなペディメントやポルチコ(玄関ポーチ)といった西洋的な要素に加え、通気孔や化粧漆喰装飾などに中国風のデザイン・モチーフを用いるという手法は、現存するプーケットタウンのヴィラにも全く共通するものです。

ペナン・ジョージタウンのキャセイホテル

ペナン・ジョージタウンの老舗旅社、キャセイホテル(国泰旅社)。

Luang Amnat Mansion バーン・ルアン・アムナート

プーケットタウンを代表する邸宅のひとつ、バーン・ルアン・アムナート(ルアンアムナートマンション)。この建物もペナン出身の職人の手によって1911年に建てられたもの。

植民地化されたことのないプーケットに、海峡植民地特有であるはずのファイブ・フット・ウェイ(あるいはカキ・リマ、ゴー・カキ)と呼ばれる公共通路が残っているのも、ペナン経由の様式だということがわかれば素直に納得がいくのではないでしょうか。

ファイブ・フット・ウェイ

ディーブック通りに残るファイブ・フット・ウェイ(5 Foot Way)。

ペナンとプーケットの名物には今でもホッケンミーやポーピアなど中国・福建省由来の食べ物が見られるように、どちらも福建系移民が多いという共通点があり、両都市は当時から盛んに交流が行なわれていたようです。新天地を求めペナンからプーケットに移り住むケースも珍しくなく、それに伴い建築技術やデザイン・資材も流入していったというのが実情でしょう。

上述のタイフアミュージアムでも、1887年以降プーケットではペナンの建築様式の影響を受けた、というような説明がされています。

タイフアミュージアム内の解説

プーケットはタイに属していたためイギリスの植民地になった経験はないものの、それにもかかわらず海峡植民地スタイルの建物が建ち並んでいる、というのがオールドプーケットタウンの歴史的価値であり、オリジナリティでもあります。

これらの建築物がより正しい評価を受けるためにも、シノ・ポルトギース・スタイル(中国・ポルトガル様式)などという実態にそぐわない名称は変更するべきだと思いますし、既にひとつの案として、シノ・コロニアル・スタイル(中国・コロニアル様式)で統一しようという意見もでているようです。

ただ、一度定着してしまった名称を変えるというのは時間も労力もかかります。実際今でもその名称が再生産され続けているのをみると簡単にはいかないだろうなあと思います。